Monday, January 14, 2019

ブログ1:私の冬休み


 私にの冬休みはほとんどの人より長かったです。というのは、私は先学期留学のために南アフリカ共和国のケープタウンに行って、そこの学期はここより早く始まって早く終わったからです。だから、私は111日に最後のファイナルを受けて、私の冬(そこでは春)休みが始まりました。
 私のファイナルが終わった時からアメリカに帰る時までには2週くらいがあって一週間南アフリカ共和国の周りにある国で旅行をすることになりました。ファイナルが終わったすぐ後には荷物を持って空港に行ってナミビア行き飛行機に乗りました。ナミビアは自然が有名で特に赤色砂漠がよく知られています。そして、サファリも有名でキリンやシマウマが見られます。残念だったのは私はツアーグルップと一緒に行ったけど私はファイナルのせいでナミビアでの最後の日に着いてナミビアはあまり見られませんでした。
ナミビアの伝統的な踊りをしている人たちです。
 ナミビアに到着した後の日にボツワナに行きました。オカバンゴ・デルタという世界で一番大きい内陸デルタにで泊まりした。そこでモコロというボツワナの伝統的なカヌーに乗ってデルタの中を回って様々な鳥やワニを見ました。よく見られないカバも見ましたけど、カバは思うよりとても危険な動物らしかったので、あまり近づかないで見ました。そして、ボツワナにはジンバブエとの国境の近くにチョベという国立公園があります。チョベもナミビアのようにサファリが有名でキリンやゾウのような動物をたくさん見ました。前よりもっと大きいな船に乗ってカバを近くで見られました。
オカバンゴ・デルタで乗ったモコロです
 チョベからジンバブエに入国しってヴィクトリアフォールズに行きました。ヴィクトリアフォールズはヴィクトリアの滝の周りにある小さいな観光町です。そして、ヴィクトリアの滝は世界の自然七不思議の一つで大きさはナイアガラ滝の二倍くらいだと言われているすばらしい滝です。ナイアガラ滝がアメリカとカナダの国境にあるようにヴィクトリアの滝はジンバブエとザンビアの国境にあります。ジンバブエにはヴィクトリアフォルーズ国立公園があって滝が前面から見られます。ザンビアには滝の上にあるザンベジ川という川のカバやゾウのような生物が見られてデビルズプールという滝が流れて落ちる場所にある自然が作ったプールから滝の下が覗けます。
右にあるプールがデビルズプールです。そのに入って写真を取ったり滝の下を見たりすることができます。
滝の上から詩を見る時の風景です。
 一種間その三つの国で旅行してケープタウンに帰りました。そして、海に行ったり、ハイキングをしたり、友達と会ったりしてケープタウンでの最後の一週を過ごしました。アメリがに帰る前の日にはパラグライダーもしました。
ケープタウンの景色です。
 アメリカに帰った後には家で休んで何もしませんでした。時差が大変だったし友達はまだ休みではなかったので家で私の犬と一緒に遊びました。その時ちょっと詰まらなかあたけど、時間が経つのが早くてもう学期が始まりました。何もしなくてもいいから休みの時に戻り台です。

Monday, April 16, 2018

カルチャーショックの経験


私は去年の2月に日本に行きました。その時、私は長い時間日本について勉強していたし、日本に行くのは2回目だしカルチャーショックは全然ないかもしれないと思い込んでいました。でも、私が間違っていました。
 東京のラッシュアワーの大変さについて聞いたことはたくさんありますが経験したことは初めてでした。日本にいる最後の日でした。その前には日本にいる時間が短いのでなるべく遅くホテルに帰ったので問題はなかったのに、この日のはもっと早く帰って出国する準備することになりました。私と友達は時間を見ないで地下鉄に乗りに行って駅に着いた時にびっくりしました。いったいどうやってこんなに多くの人々が地下鉄に乗れるかと考えました。
 地下鉄が着いて私達が乗った後、私達として地下鉄はもういっぱいだったのに人々は入り続きました。そして、人々が入ったら、他の人はカバンをぬいで下に置いたりもっと近くになったりしてその人たちが入れるようにしました。私達日本人の一つの電車に乗れる人数に関する考えか違って面白い経験のに、カルチャーショックの経験でもありました。私達は不便だと思った人と人の近さや冬のに人が多いのでだんだん暑くなったことや降りる時の大変さには日本人はかまわないでそのことになれている点にびっくりしました。
 東京のような大きい都市で住んでいる日本人はそういう時にどうすればいいかよく知っていましたがそういう状況が初めてだった私達は驚きました。いい経験だと思っていますけどもう一度経験したくない経験でした。

Monday, April 9, 2018

ブログ12:何かの物の作り方


最近、普通の紙や和紙ではなくてお金を折って作る折り紙の人気が上がっています。今日、ドルで簡単なハートの折り方を紹介します。
1.まず初めに、ドルを半分に折ります。そして、開いてもう一度他の方法で半分に折って開きます。そうしたら、下のように線が二つあるはずです。

2.そして、ドルの下にある部分が1で作った真ん中にある長い線に合わせて、下の写真のように折ります。

3.次に、左側がにある下の部分が1で作った真ん中にある短い線い合わせて下のように折ります。そして、右側も同じように折ります。

4.次に、3をひっくり返して、右側と左側をしたの写真に表れている線に沿って折ります。

5.そして、上も下の写真い表れているように下に折ります。

6.最後に、上側を写真で表れている線に沿ってハートの形のように折ります。

7.もう一度ひっくり返すと完成です!

これは簡単なハートの作り方でした。お金を他の人にあげる状況が現れったらこの方法で折ってみたらもっと特別なプレゼントになれると思います。

Sunday, April 1, 2018

ブログ11:日本の伝統工芸品

  日本の代表的な伝統工芸品はたぶん和傘です。和傘は誰が見っても日本の物だと考えられて、日本以外の国にも日本を代表するものになりました。今から、この和傘について少し紹介と思います。
 和傘は和紙や竹のような自然から来たものでできた傘です。面白いことに、この和傘は元に中国の物でした。色々な日本の伝統的な物や習慣のように、和傘も昔に中国から輸入されて長い時間変化しながらもっと日本的になった物の一つです。和傘は初めて輸入された時には雨を避けるためのものではなくて身分が高い人達を晴れと悪霊から守るための物でした。そして、昔の和傘は閉められなかったそうで、そういう閉める機能は安土桃山時代に発明されたそうです。江戸時代に入ったから、和傘は普通の人達同士に普及されました。
 今、和傘は色々な時に使われています。もちろん、雨を避けるために使えられます。その他にも歌舞伎のような伝統芸能でよく使われています。前のように日常生活でよく使われていないことは残念ですがまだに日本を代表する物の一つだと言えます。


Monday, March 26, 2018

ブログ10:日本が外国から輸入したもの


 日本の歴史の中には日本はよく外国から影響を受けました。ハンバーガをはじめお茶、米までの様々な物を輸入しました。持てるもの以外にも様々な文化とか習慣や考え方も取り入れました。例えば、西洋から輸入した代表的なイデオロギーの一つはキリスト教です。キリスト教はどのように日本に入ってきて影響を与えたかそして今はどうかについて少し紹介したいです。
 キリスト教が最初に日本に入ってきたのはポルトガル人通して1500年代ごろです。その時にはたくさん広がっていなったけど織田信長が西洋文化に興味があって禁止はしませんでした。でも、織田信長が死んだ後に豊臣秀吉とその後の徳川家康は西洋文化をあまり歓迎しませんでした。特に、キリスト教の中の人々は全部平等だという考え方は問題だと思われて、キリスト教は禁止されました。明治維新の時には禁止がなくなったけど日本には他の国よりキリスト教は広がりませんでした。
今も日本には自分がキリスト教信者だと言う人は日本の全人口に1%しかありません。でも、面白いことに、日本人の習慣の中にキリスト教から影響を受けたこともあります。例えば、クリスマスは日本人がよく祝う行事の一つです。そして、祝い方はキリスト教式ではないけどこの行事の元はキリスト教です。その他に今はチョコレートを中心しているバレンタインデーも元はキリスト教から来ました。こういう行事以外にキリスト教の影響は日本の結婚式にも現れています。神道や仏教式な結婚式が多かった日本には最近キリスト教式な結婚式は少なくありません。キリスト教信者ではない人もキリスト教式な結婚式を行うらしいです。
 このように、キリスト教通して日本に色々な面白い習慣が入ってきました。

Monday, March 19, 2018

ブログ9:韓国の代表的な食べ物



 誰に聞かれてもどこに聞かれても韓国の代表的な食べ物は何かと聞かれたら、多くの人々はキムチだと答えるかもしれない。和食で言うとつけものに当たるキムチは、韓国には食事するたびに食べられていて赤くて辛いのが特徴だ。でも、実は、最初のキムチは今のようなキムチと全然違う。というのは、赤くてからいことを作る唐辛子と一番よく食べられているキムチの種類を作る時に使う白菜はキムチが発明された後に韓国に輸入したものだからだ。
 300年代ぐらいに作られたキムチは最初にまるで日本のつけもののような食べ物で特徴的な赤さや辛さは全然なかって普通に大根のような野菜で作られた。山が多いので野菜があまりない冬が寒すぎる韓国には野菜を長い時間保って食べる方法が’必要だった理由でその時の人々はキムチを作った。韓国の高麗時代(約918年から1392まで)に中国を通して白菜が輸入して人々はその白菜でキムチを作り始めました。その後、朝鮮時代(約1392から1910まで)に開国した日本を通してポルトガルの唐辛子をユニ輸入してキムチは赤くて辛くなった。
 今、キムチは韓国人になくてはならない食べ物になった。ご飯を食べてもキムチがなかったら食事をしなかったという表現もあるようにキムチは韓国人に好んでいる。面白いことに、ピザのような洋食を食べてもキムチと一緒に食べる人は少なくない。だから、最近キムチパスタやキムチターコなどのようなキムチで使うフュージョン料理の人気が上がている。

Monday, March 5, 2018

ブログ8:私が好きな歴史上の人物


 世界の歴史にはすごくて偉い人物がたくさんいます。だから、好きな歴史上の人物を一人選ぶのはとても難しかったです。ついに、選んだ人物は世界中によくしられているネルソン・マンデラという人物です。ネルソン・マンデラは南アフリカ共和国の最初のアフリカ人大統領です。でも、その所まで行くためには様々な苦しみがたくさんありました。
 1940年代から1960年代ぐらいには南アフリカ共和国には現地人のアフリカ人に対した差別はとてもひどかったです。その差別のひどさを見たマンデラは人々は全部平等だと思って差別をなくすために人権運動を始めました。そして、その人権運動のレーダーだったので27年間刑務所にいました。実は、マンデラは死ぬ時まで刑務所にいることになっていました。でも、その時に国内と国際からプレシャーがあってその時の大統領はマンデラに自由をあげました。その時に選挙が行ってマンデラは大統領になりました。そして、アフリカ人に対した差別はだんだんなくなりました。
 私はマンデラは熱心で自分が信じることのためにたたかったのはすごいと思ってマンデラの情熱はいいロールモデルだと思います。