Monday, March 26, 2018

ブログ10:日本が外国から輸入したもの


 日本の歴史の中には日本はよく外国から影響を受けました。ハンバーガをはじめお茶、米までの様々な物を輸入しました。持てるもの以外にも様々な文化とか習慣や考え方も取り入れました。例えば、西洋から輸入した代表的なイデオロギーの一つはキリスト教です。キリスト教はどのように日本に入ってきて影響を与えたかそして今はどうかについて少し紹介したいです。
 キリスト教が最初に日本に入ってきたのはポルトガル人通して1500年代ごろです。その時にはたくさん広がっていなったけど織田信長が西洋文化に興味があって禁止はしませんでした。でも、織田信長が死んだ後に豊臣秀吉とその後の徳川家康は西洋文化をあまり歓迎しませんでした。特に、キリスト教の中の人々は全部平等だという考え方は問題だと思われて、キリスト教は禁止されました。明治維新の時には禁止がなくなったけど日本には他の国よりキリスト教は広がりませんでした。
今も日本には自分がキリスト教信者だと言う人は日本の全人口に1%しかありません。でも、面白いことに、日本人の習慣の中にキリスト教から影響を受けたこともあります。例えば、クリスマスは日本人がよく祝う行事の一つです。そして、祝い方はキリスト教式ではないけどこの行事の元はキリスト教です。その他に今はチョコレートを中心しているバレンタインデーも元はキリスト教から来ました。こういう行事以外にキリスト教の影響は日本の結婚式にも現れています。神道や仏教式な結婚式が多かった日本には最近キリスト教式な結婚式は少なくありません。キリスト教信者ではない人もキリスト教式な結婚式を行うらしいです。
 このように、キリスト教通して日本に色々な面白い習慣が入ってきました。

Monday, March 19, 2018

ブログ9:韓国の代表的な食べ物



 誰に聞かれてもどこに聞かれても韓国の代表的な食べ物は何かと聞かれたら、多くの人々はキムチだと答えるかもしれない。和食で言うとつけものに当たるキムチは、韓国には食事するたびに食べられていて赤くて辛いのが特徴だ。でも、実は、最初のキムチは今のようなキムチと全然違う。というのは、赤くてからいことを作る唐辛子と一番よく食べられているキムチの種類を作る時に使う白菜はキムチが発明された後に韓国に輸入したものだからだ。
 300年代ぐらいに作られたキムチは最初にまるで日本のつけもののような食べ物で特徴的な赤さや辛さは全然なかって普通に大根のような野菜で作られた。山が多いので野菜があまりない冬が寒すぎる韓国には野菜を長い時間保って食べる方法が’必要だった理由でその時の人々はキムチを作った。韓国の高麗時代(約918年から1392まで)に中国を通して白菜が輸入して人々はその白菜でキムチを作り始めました。その後、朝鮮時代(約1392から1910まで)に開国した日本を通してポルトガルの唐辛子をユニ輸入してキムチは赤くて辛くなった。
 今、キムチは韓国人になくてはならない食べ物になった。ご飯を食べてもキムチがなかったら食事をしなかったという表現もあるようにキムチは韓国人に好んでいる。面白いことに、ピザのような洋食を食べてもキムチと一緒に食べる人は少なくない。だから、最近キムチパスタやキムチターコなどのようなキムチで使うフュージョン料理の人気が上がている。

Monday, March 5, 2018

ブログ8:私が好きな歴史上の人物


 世界の歴史にはすごくて偉い人物がたくさんいます。だから、好きな歴史上の人物を一人選ぶのはとても難しかったです。ついに、選んだ人物は世界中によくしられているネルソン・マンデラという人物です。ネルソン・マンデラは南アフリカ共和国の最初のアフリカ人大統領です。でも、その所まで行くためには様々な苦しみがたくさんありました。
 1940年代から1960年代ぐらいには南アフリカ共和国には現地人のアフリカ人に対した差別はとてもひどかったです。その差別のひどさを見たマンデラは人々は全部平等だと思って差別をなくすために人権運動を始めました。そして、その人権運動のレーダーだったので27年間刑務所にいました。実は、マンデラは死ぬ時まで刑務所にいることになっていました。でも、その時に国内と国際からプレシャーがあってその時の大統領はマンデラに自由をあげました。その時に選挙が行ってマンデラは大統領になりました。そして、アフリカ人に対した差別はだんだんなくなりました。
 私はマンデラは熱心で自分が信じることのためにたたかったのはすごいと思ってマンデラの情熱はいいロールモデルだと思います。